身はかくて さすらへぬとも・・・
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須磨へと旅立つ光源氏が、帥の宮と頭の君に会う為に着替えた時に、自分のやつれた姿を鏡に見ながら詠んだ歌。 |
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身はかくて さすらへぬとも 君があたり 我が身はこのようにして須磨へ流されようとも、あなたの周りにある鏡に私の影は映って離れないでしょう、という意味。 「影は離れ」は「かけ離れ」という意味を響かせている。 この歌は結構お気に入りなのですが・・・。実は残念ながら『源氏物語 あさきゆめみし』では出てきません。けれども、 その歌が詠まれた場面はあります。 かつて在業行平が流浪の日々を送ったという須磨へ謹慎する準備をし、愛しい者達に別れを告げ、 行き来があった人々が去りつつある中、光源氏が「やつれたな、われながら・・・。鏡に映った影のように見えないか?」 と鏡を見つめて言います。 そして、涙をこらえながら紫の上が「影だけでも鏡にのこるものならいいわね。 そうすればいつでも鏡を見ていられるもの。」と、そのこぼれた涙を見せないように光源氏から顔を背け、 お客へのもてなしの準備に立ち去るという場面です。 今の私達からすれば、都から須磨までの距離とはたいしたことはないのですが、列車も自動車もない時代。
牛車や徒歩ではいったいどれだけ時間がかかったことか・・・。 |
育ての兄代わりでもあり、愛しの夫でもあった光源氏に残され、別れなければならぬ紫の上の心情は、 とても耐え難いものであったのに違いないのに、その心を隠し、取り乱さず、しっかりとした女性として振舞う。何て気高く美しい強さ!でも、 本当はそんなに強いものではないということがわかるから、かえって切ないですよね・・・。
紫の上の言うとおり、影だけでもそばに残って自分を見守っていてくれるのであれば、悲しみにくれることもないでしょうに。 『源氏物語あさきゆめみし』のストーリーを全て知ってしまった今でも、読み返すたびにこの場面では心が痛みます。
・・・こんな素敵な歌を詠ってくれた光源氏なのに、明石の君と出会い、子供までもうけてしまうのですよね。 それも思うといっそう悲しくなります。(明石の君も好きなのですが・・・。)一生をかけて一人の人を愛し、 一人の人から愛されることを夢見る乙女(!?)の私としては辛いところです。
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紫の上が詠んだ返歌
別れても 影だにとまる ものならば |
- 《源氏物語 あさきゆめみし 其の十三》
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